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2016-03-22(Tue)

GEM CLUB観劇の感激!

そして仙台から東京へ華麗にリターン。



荷物は送ったので軽く東京駅から有楽町へ。なんかビートルズの流れてるパブがハッピーアワーなのでひとりゼロ次会!



いざGEM CLUBへ(*´艸`)





今回12列目。席こそ1番ではじっこだけど、通路に面してると言うことは・・・・。

客席から登場の時目の前通るとか、客席降りの時に来るとか!!!期待大!





これだけダンスを堪能できる舞台もないでしょ。もうあいばっちは王子様だしマサはボレロだし・・・。

マサの、投げたステッキぎゃっと握るとことか、ああいうのが練習の積み重ねから来る本番の「決まった!」なんだろな。

若手組のバスケ&タップ、玉野さんの階段上がりながらのタップとかもうため息物。

なのに寺子屋のネタやししとうネタや(笑)

紫吹さんもチーム玉野の毒気に当てられたようでなじんでたし、五十音ヒットメドレーじゃなくて役者の名前でメドレーとか。かっぱ寿司もあったし。もう終始感動&にやにや!!!



で、みんなが客席に降りてきて、あいばっち上手側の通路来るよ。え?こっち来るよ?嘘!嘘!近くに来た!やばいちょうかっこいい!王子様度ハンパない!!!

声もかけられないまま、はじっこまで来て欲しいとじっと見つめてたら、視線は合わなかったけどハイタッチしたーーーーーーーーーーーー!!!!手、伸ばしてくれたーーーーーーーーー!!!

ハイタッチというか、ハイタッチから手握ってもーたおばさんだあたし!

細くてすべすべひんやりした感触だったはぁはぁ!



もう50ばばあが乙女になっちゃってその後ふわふわですよ。

終演後、劇場のロッカーに預けた荷物忘れて駅に歩き出してたよ。

絶対普通ならやきとんホッピー行くところだけど、行かないよ!王子様の手を握った乙女なんだから。

とっとと山谷の常宿に帰って1人で噛みしめるよ!←やきとんホッピーと変わらないよ



あいばっちの舞台ずっと見てきて、かなり(10メートルくらい)近くまで近づいた時は2回くらいあったけど、手、手、手を握るとわ!!!



一昨年赤羽の丸健水産でひとり呑みしてた時に相席になったご夫婦、奥さんは妊婦さん。色々話してて例のごとく「熊本からですか!」という話になり「舞台観に来たんです。CLUB SEVENていうの」と言ったところところところ、なんとその奥さん舞台の美術がお仕事でCLUB SEVEN もやってたと!!もうどこの女子高生かってくらいに手を握り合ってきゃー!きゃー!と(妊婦だから飛び跳ねないけど)

無事に去年7月にママになって今は休職中の彼女に今夜の興奮をLINEで報告。

わかりますわかります!みたいに舞台の良さをしばらく熱く語ってため息と興奮の山谷の一夜は過ぎていき・・・。明日から私とタッチの差で今度はオットがこの3,800円私の常宿に初めて泊まるというあいかわらずなにやってんだこの夫婦って感じですが。





次の日東京駅からアクセスバスで成田まで。

友達が東京駅の大丸でずんだシェイク売ってるよと教えてくれたので飲んだ飲んだ(≧∇≦)

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2014-11-10(Mon)

アンのゆりかご

NHK朝の連続ドラマ「花子とアン」の原案となった「アンのゆりかご〜村岡花子の生涯」を読了。

林真理子の「白蓮れんれん」と同時に読んでいたので対比が面白かった。



赤毛のアン。

多分子供の頃に学校や町の図書館で読んだと思う。

アニメの放映は1979年1月7日からということなので私は15歳か。

リアルタイムで見てたかどうか記憶がない。

でも、見た覚えはあるので再放送かなにかで見たのか・・・不明。



村岡花子の訳した新潮文庫赤毛のアンを手にしたのは大学生の時。

手元にある文庫の奥付を見ると昭和29年7月28日発行 昭和45年9月30日39刷改版

昭和58年5月25日67刷とある。(この奥付の見方がわかるようになったのは点訳ボランティアのおかげ)







昭和58年5月といえば、19歳の5月。

大学1年生の5月だ。新刷本が平積みになっていて何気なく手に取ったのか、それとももっと後に買ったのか全く記憶がないのだけど、とにかく買って、読んで、アンの世界に夢中になった。村岡訳はアンシリーズ全巻はもとよりパレアナなども全部読んだ。



どちらかというとそれまではやさぐれていた地方出身者で、大学デビューもままならないどんくさいあたしは一変して夢の国の住人になった←まじですw

今もそうだけどファッションのセンスゼロ。でも、なんだか悪い感じの服を着てやれと京都の詩の小路ビルの大中で買ったわけのわからない服をやめて、雑誌オリーブを購読しベレー帽をかぶり始めた。今思うと死んでしまいたいほど恥ずかしいw



改めてオリーブを検索してみるとコンセプトはリセエンヌ。

ターゲットは「ミッション系、一貫教育高などの中高生、帰国子女を含む」と書いてある。



いや、群馬のヤンキー公立高校。ターゲットになってないから!



後付けで考えるとこういう事かと思うんだが、高校時代からセンスがよくいわゆる「デビュー」してた子はJJやCancanを読んでいた。

ハマトラ、コンサバ、サーファーという一見してわかるカテゴライズされた服装をしていた。

そのどれにも入れない自分。

言葉も頑張って覚えてしゃべっても「はらたつわ!あんなー、阪急の2人席乗ったら絶対に隣に痴漢乗ってこおへん?」「せやせや!」と言う子達に混じって「せ・・せやなぁ」などと嘘くさい関西弁を喋る自分。

アイデンティティどこやー!w



遅れてきた中2病やな。



そこにオリーブですわ。



wikiで見ると「オリーブ的」とされる項目で

帽子(ニット帽 ベレー帽など)、古着、フランス映画、カフェ、アフタヌーンティー、絵本、北欧雑貨、ハーブティー、アロマ、オードリーヘップバーン、手作りのお菓子、オーガニックフード、ナチュラルメイク、チープシック、デュラレックスのグラス・・・なんてのはみんな好きだった。

JJ、Cancanに対抗するにはこれだ!と思ってたんでしょうな(無意識下)



このまま素直にオリーブ道を突き進んだら素敵なママンになってたのに、どこでどう間違ったか今では立派なオッサン女子。



「オッサン女子的」

赤羽、立ち飲み、ガード下、昼酒、モツ焼き、ホッピー、迎え酒、・・もうええわ。



そんなオリーブ少女の時代に出会ったアンの世界。



「ごわごわした、黒と白のごばん縞の綿じゅす」や「つりうき草の花」や「崇拝者」「ひまし油」などの初めて耳にする言葉。



「汝の黒髪をひとふさくださらない?」「何か切るものを持っていて?」「アイスクリームって言語を絶したものだわ、マリラ。まったく崇高なものね」などのもってまわった大仰な言い回し。

ドラマを見て初めて、この翻訳は秀和女学校(本当は東洋英和女学院)で花子が過ごした経験の賜なのだなぁと。



戦火が激しくなる中でも「ごきげんよう」という挨拶をつらぬいたのは、清廉で実直で誠実な生き方、そういう人間が作る家庭こそが教育の原点であるという強い気持ちが花子にあったのだと思う。



今の子供達はゲームばかりで本を読まない・・・という言葉を今更言っても仕方ないけれど。

確かに花子達が奮闘してくれたおかげで昭和40年代には良質な家庭文学といえる本がたくさんあった。

その中で、人を陥れたり、嘘をついたり、自分だけが得をしようと思わないこと、のような生きる基本みたいな事を自然と学んだような気がする。



翻訳の童話で、「暖炉で暖まりながら紅茶を飲みました」とか「バターたっぷりのホットケーキを」なんていう文字を見て「外国に行ってみたい!!」と思ってた。



それは、戦争も飢えも知らない今の子が、異世界から巨人が攻め込んできた時に、覚醒した巨乳のツインテールの女の子がばったばったと相手をやっつける所を見たいという願望に繋がってるのかも知れない。



こんなオッサン女子になっても、根っこの所は変わってないのだと思う。

人に対して誠実でありたい。

いや、実際めっちゃ黒いけどね。

黒いからこそ、わかってるからこそ、その上で誠実でありたい。



アンは自分の赤毛やそばかす、やせっぽちな所を必要以上に恥じていたり、自分のドレスのそでがあと数センチ膨らんでいたら魅力的に見えると思うのなどと、まるでJJがダメだったからオリーブ少女で頑張ろうみたいなあたしのような見栄っぱりの人間だ。

それをマリラは「心うるわしければ眉目またうるわし」とぴしゃりとダメ出しをする。

でも、マシュウが「そうさなぁ。アンにも他の子のように袖が膨らんだ服を作ってあげてもいいんじゃないかと思うよ」といいマリラが「まったく兄さんはあの子に魔法をかけられたみたいにおかしくなっちまった」といいつつもパフスリーブの服を新調してあげる。



そんな、おかしくて哀しい人間の弱さと、弱さからの弱さゆえの成長を全肯定している赤毛のアン。

そして、自分を愛してくれる人を大切に思うという、生きる上で一番幸せへの近道じゃないかという基本みたいなのもアンから学んだ。

そんな時にオットと出会ったわけで。



あとはいつもののろけなので終了!















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2013-02-25(Mon)

モンスター

高岡早紀主演で映画化されるという「モンスター」の原作を読んだ。



あり得ないほどブサイクにうまれた 1人の女性が、整形を繰り返し、絶世の美女に生まれ変わり故郷に戻り、

かつて自分をあざ笑った男を陥れたり、初恋の人との恋愛を成就させたりというお話。



テーマとしては面白くぐいぐい引き込まれて読んで行ったのだけど、いざ読み終わったあと、なにも残る物がなかった。というよりも、後味の悪さが残った。



なんでだろうと考えていて、思ったのは、主人公に「心がない」事だと思い当たった。



「黒い家」の「この人間には心がない」的な。



一見、美しく生まれなかった不遇の女性が最後少しだけ幸せな気持ちを味わって死ぬみたいな話になってるけど、この女、人を愛するという事が根本的にできない、自己愛の塊。

初恋の人を追い求めているという事になってるけれど(学生時代は自分の醜い顔を見せたくないがために、彼を失明させようともする)



確かに整形を重ねて行く事で、周囲の人たちの対応が変わって行くところや、顔が綺麗な女にころっと騙される男の心情描写や、整形手術の実際などは読んでいて面白いのだけど、結局、彼女自身が考えているのは常に自分の事だけで、相手の気持ちを考えるということが完璧に欠落している。



「私の顔がこれほど不細工でさえなければ」と主人公は言うが、それほど不細工でも、人を本当に大事に思う気持ち、好きな人に幸せになって欲しいと思う気持ちがあればきっと愛してるくれる人も現れたと思うよ。



作者の意図がいまいち読み取れなかったけれど、1人の女性の壮大な妄想物語みたいになっちゃっててちょっと残念。



映画は別の解釈があるかもしれないので観に行きたい。



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2012-12-11(Tue)

桃さんのしあわせ

久しぶりにともぞうと痛飲でえとのあと、予告でうるっときてしまった香港映画「桃さん(タオさん、と読む)のしあわせ」を見た。英題はA simple life。

アンディ・ラウの作品を一つも見たことのない私でさえ、彼がどれほど銀幕のスターかは知ってますよ。



アンディ演じる映画プロデューサー、ロジャーは50歳を過ぎた独身男性。母親や、姉夫婦、家族は上海にいたりアメリカに渡っていたり。彼自身も香港と上海を行ったり来たり。香港にいる時は、彼の家族一族に60年仕えたメイドの桃さんが身の回りの世話をしてくれる。

50を過ぎたロジャーは映画のプロデューサーという華やかな職業に似合わず、質素で誠実な人柄を表すような生活とファッション。

それゆえあまり悲哀は感じさせない。

お金には困らない生活であるし、なんにせよ、香港にいる間はタオさんが顔色や体調を見て、薬膳ともいえるような料理を作ってくれる。

その桃さんが脳卒中の発作で倒れることから、ロジャーが初めて、空気のようにいつもそばにいてくれる桃さんの存在を意識し、心を深く通わせて行く物語。



桃さんといい、風と共に去りぬのマミーといい、世界で一番優しい音楽の志津さんといい、自分の子供の時のことを全て知っていて、そして永遠に子供のままでわがままが言える家政婦さんというかお手伝いさんと言うか乳母というか、相手がある人生のなんと素敵な事よ。

親と子の間柄ではそれは無理なんだよな。やはり肉親となるとわがまま、甘え、期待、その他もろもろ感情に振り回されるものが出てくる。

愛情も濃いけど、その分業も深い。

でも、メイドさんとか乳母さんとかだと、ずーっとずーっと子供のままで甘えてていいし、すごくシンプルな関係。

親のように勉強させなきゃいけないとか躾とかは第一目的でないし、清潔な衣服をきせるとか、身体に良いものを食べさせるとか、本当にシンプルなお世話するものとお世話してもらうものとの関係。

犬と飼い主の関係に似てるところがあるかも。



好きなシーンはタオさんが自分の宝箱をあけてロジャーと昔話をするところ。

これがあなたをおぶったおぶい紐と紐を見せたり、写真を一緒に見たりするところ。



お手伝いさんとは違うけど、私にとって伯母(ばーちゃん)がこういう存在。

ただただただただ私を可愛がってくれる。

この映画の予告編を見た時、タオさんが床にかがんで猫に餌をやったあと立ち上がるんだけど、その、腰が硬いよっこらしょ度合とかがもうばーちゃんで、ばーちゃんで。母ではないんだよなぁ・・・。



もう一つ好きな所は、高校時代のロジャーの悪友3人が集まって、施設にいるタオさんに代わる代わる電話をして過去のいたずらを話したり、携帯を真ん中において全員で歌を歌ったりするところ。

冷蔵庫に入ってた、タオさんが施設にはいる前に作った絶品の牛タンのロースト(多分。記憶が曖昧)をみんなで食べながら。



自分が生まれた時からの歴史を見てる人には、いくら大人になったってかっこなんかつけようがないもんだ。



予告にもある、ロジャーの映画のプレミア上映会のあとの2人が手を繋いで歩く場面も大好き。



結婚して熊本にくる前の最後の大晦日、みんなで酔っ払って夜中に初詣に行った。

雪でつるつる滑る道を、転ばないようにばあちゃんの手を繋ぎ「別れ~ることは、つらいけど~、

仕方がないんだ君のたぁめ~、別れに星影のワルツを歌おう~」と2人で歌いながら夜道を歩いた。

そんなベタな事、親とは絶対に恥ずかしくてできないけど、ばあちゃんだとできてしまう。



そして何より、大好きな香港の街並みの映像がたくさん出てくるのが、とても嬉しい映画だった。

タオさんの入所する施設も、路上に面してる商業ビルの一階だけど、香港では意外と多いらしい。



ワッゲンオッゲンに続き、血の繋がりではなく、思いの繋がりで、人は血縁の家族以上に家族になれるのだと思えた良質な映画でした。

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2012-11-24(Sat)

女たちの都・ワッゲンオッゲン

文化祭が終わって、グラウンド落成記念式典が終わってPTA行事的にはもう終わりが見えてきて本当に楽になった。

オットも帰ってきたので、のぼうの城に続き、映画デートして参りました。



天草・牛深を舞台にした映画「女たちの都~ワッゲンオッゲン」を知ったのは何気なく見ていたRKKテレビの夕方いちばんで。

ワッゲンオッゲンは、天草弁で「あなたの家私の家」という意味。

この番宣、見てなかったら多分観ようとは思わなかったろうなぁ。縁ですな。



K&K「かめきち君とかなめ君」という(熊本限定?)レポーター2人が、撮影現場に取材に行ってエキストラとして出演、かめきちはなんと台詞までもらえるという。

そんなのを見てるうちに、これは面白そうだ、見たいぞと思ったので。



あ、このブログ誰も見てないからネタバレでいいよなw



企画もの、町おこしもの、人情全面押し出し的なのって避けて通ってるけど、この映画はそんなのをふっとばすような、すっと心に入ってくるものだった。



脚本、ロケーションその他もいいんだけど、とにかく役者さんだな。

誰が欠けてもワッゲンオッゲンじゃない。

「あなたの家私の家」って言うのは、これはあれですな、デスパレートな妻たちと同じ、「あんたんちも、うちも色々あるさー」って意味だね。



天草はそりゃ何回かは行ってるけど、あの崎津のマリア像とか美しい景色には心を奪われました。

船で奥さんを実家に送るとか。すごく素敵。エンケンがまたマザコン海の男が似合い過ぎだし。



でも、うざいんだなー、うざいww

口を開けば独身者には「結婚しろ」「早く結婚して、子供生んでここで一生暮らしなっせ」

私の実家の群馬の田舎もまさにこれと一緒。

親戚うるさい。結婚しろ、子供作れ、2人目は?一人っ子じゃ子供がかわいそうよ、目上のもんに向かってなんだその言い草はの連打。

こんなとこ、絶対出てってやるんだ。あと結婚なんてバカな男のせいで自分の人生台無しになるなんて事するわけないしな。こういう凝り固まった古い考えのジジババが日本をダメにしてるんや!私はきゃりあうーまんになるんや!!と思って出て行った18の私は、今この映画を見て、泣いちゃうわけです。



「ここじゃ、子供おらんときつかよねー」「九州男児に精子が問題あるって死刑宣告やろもん」「嫁も子供もおらんやつに俺の気持ちがわかるか!!」「このハゲな、素人童貞ぜww」と。人権に関わる台詞がさらっとばんばん気持ちよーく言われております

田舎で昔ってこういうの当たり前に言われてたよね。

でも、なんか嫌な感じはしなかった。

それは、それだけ踏み込んだ事を言える関係性が築けてるという事の現れだと思う。

今は結婚するしないは個人の自由。

子供持つ持たないは個人の自由。

うるさいおばちゃんいなくて、ちょっと寂しいかも。

あ、あたしか。夫婦はラブラブでないといかんよーとうるさいおばちゃんw



映画では奥さんには問題ないですよー。旦那さんに問題があるかもしれないから、一度連れてきなっせといわれたエンケンの奥さん、俊恵が、熟慮の末、旦那さんには事実を隠し「ごめん、私に問題があるから子供ができない」と宣言し、話し合いの末養子をもらうんだけど、この西尾まりさん演じる俊恵は圧巻だなあ。

彼女は閉鎖的な天草の地で、お姑さんに「子供はまだかまだか」と言われ、「自分には問題ないけど夫の方にありそうだ」「夫に問題があるなんてそんな事口が裂けても言えない」「ごめんなさい、私に問題がありました」と嘘をつき、さてどうするかってのを、養子をもらうという裏技を繰り出してくる。



もちろん華麗に解決なんて話やないよ。

でも、この夫婦を見てたら、きっと全て乗り越えて、いいお父さん、お母さんになって、子供は思春期に自分の出自を知って反抗して警察ザタとか起こしたりして、でも、深い深い絆できっといい家族になるんだろうなあと思うのだ。



家族って血のつながりとかじゃないもん。絶対。

もし今息子が出生時の取り違えで他人の子供ですと言われても、私の息子はただ一人、彼しかいないから。



今や不妊は立派な現代病。

嫁さんが来ない農家にフィリピンや中国からの花嫁が来るのと同じく、「ああ、養子という選択もありだなあ」となるほどと思った。



石川遼君みたいにしたいとか、浅田真央ちゃんみたいにしたいとか、いろいろ最初は夢は膨らむけど、そんな立派なお子さんが育つ事は本当に万が一しか無くて、でも、生まれて来てくれた事、お母さんと慕ってくれる事、小さい時の太陽のような笑顔、反抗期の戦い、でも、ただただ生きて、この世に存在してくれる事。そしてその存在で、自分も人間として成長させてもらえる事、友人の言葉じゃないけど「親にならせてもらう」てこと。

そこに、あまり「血縁」は関係ないのかもしれない。



常日頃「結婚したい~」とか「婚活ちう」なんて言葉を見るとぐああああああってなって、「結婚したいってなんや、結婚って単なる制度やろ!じゃなくてずっと好きでいられる人に出会いたい、やろ!」と思うんだが、それとは全く逆に老夫婦の奥さんが「親の決めたお見合いでねえ、結納の日に初めて会いましたよ(笑)まあ、なんとかかんとか50年間やってこれましたね」なんて所さんの番組で手、つないで笑ってるご夫婦とかがすっごい好きだ。

家族とか、親子とか、不完全なもので、結婚したから幸せとか、子供産まれたから幸せとかじゃ全然なくて。

その関係性から生まれてくるさまざまな問題をクリアしていくことで、ちょっとずつ、ちょっとずつ、「おお、なかなかオトナになったやん」みたいな、照れながら認め合うみたいな。

で、自分もちょっとは成長してるよなとか自画自賛するみたいな。そんなんだと思う。



映画見て、そんなこと、あれこれ考えました。



でも。全国上映の時に、九州以外の人が、台詞がわかるのかどうか心配w



そして、全部台詞がわかった自分も、熊本の女になったなあと思うのでありました。











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プロフィール

micomico03

Author:micomico03
旅とおいしい物とおいしいお酒を愛する、昭和30年代最後のぎりぎり生まれちゃん。
好きなものはドラマ、あまちゃん・デスパレートな妻たち・アグリーベティ。一人旅、夫婦旅。

自信のあるところは体力と気力。自信のないところは継続的努力。

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