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2012-05-29(Tue)

8月9日

明け方、八重洲口に到着しました。

私たち。

車中泊だけど、そんなに身体はぎしぎししてないよ。

荷物を降ろし、それぞれ別々の方向に行く事に。



私はそのままオットのアジトへ。

携帯(まだ携帯だった)の電源切れてたんで、とりあえずアジトで充電したいし。



しっかり充電して実家に向かいました。

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2012-05-28(Mon)

8月8日

単純なので、難しい事は考えず、自分の自己満足のためにボランティア行きました。



でも、現地に行かずに難しそうなことばっかり言ってるより、全然良かったと思う。

純粋に喜んでもらえたもん。

現場主義だよ。



祭りの夜はあけ、朝一で陸前高田ボランティアセンターへ。





ほとんどが関東から来ている彼らを見ると、(つながろう板橋区民の会、とか)震災直後から現地に何度も足を運んでると思うし、本当に現地の人にとってはありがたい行動だったと思う。

私なんか、遠くにいるからできる事もないし、ボランティアバスだって、旅行気分だもの。



そんな、22歳の昔インドを旅した時の逡巡的な事を思っているうちに、今日のお仕事決まったよとやまやさん。



なんと本日14時から昨夜お祭りがあった高田小学校で「ゆず」のサプライズコンサートがあるとのこと。



九州から見てると、たくさんの芸能人が被災地を訪問して、もうみんな芸能人疲れしちゃうんじゃないの?とか思ってたけど、それはやはり小林幸子に勇気づけられるおばあちゃんもいるし、昨日のジャニーズの子を見てキャーッと飛び跳ねる陸前高田の中学生もいる。

そこでゆず、嬉しくないはずがない。



昼からステージ設営するので、昨日のテントを片付け、校庭を清掃。祭りのゴミを分別仕分けするというお仕事をやることに。



20ほどたったままになっている白いテントをみんなでせーの!でたたむ。

ツアーの中に、若い教師がいて、こういう仕事に慣れてて指示してもらってすごく助かった。

彼のあだ名はすぐに「校長先生」に(笑)

あの、運動会の白テント、撤収のコツあるのねーw



その後、100近くはあろうかと思うゴミ袋の分別。

私たちは15人くらいいたけれど、私たちがいなければ、高田のお祭り実行委員の女性2人でやらなければならなかったと思う。

生ゴミとペットボトル、缶、瓶をそれぞれ市のゴミ袋にみんなでわける。



8月、1日でゴミ袋にはハエがたかるが、当初ボランティアに4月5月頃入った人たちは、打ち上げられた魚の異臭、遺体の異臭に悩まされながらの作業だったと思うと言葉も無くなる。





予定よりもかなり早く高田小学校はゆずとスタッフを迎え入れるばかりの状態になった。

それでも、ほとんど肉体労働という労働をしていない私たちの中には、まだ仕事があればやりますとやまやさんに言う人が何人か。

でも、この需要と供給のマッチングはかなりその日の状態で変わるらしく、ボランティア肉体労働やりたいです的な気持ちを押し付ける事もできない。



ツアーに組み込まれている次の観光地「中尊寺」に向かう前にやまやさんが「ゆず見たさにバスに乗らずに高田小に残る人が一人もいなくて本当によかったです!」の言葉にみんなで爆笑。







みんな、「観光モード」に切り替えて平泉中尊寺へ。



私は初めての中尊寺。



中の案内はガイドさんがつく。

暑いのにえんじ色のツーツを着て、三角の旗を持っている「昭和ですか?」的なガイドさんが「皆様、今日は遠くから助けに来てくださって本当にありがとうございます」と深々とまず頭をさげて、その瞬間、あたしはぶわっと涙がこみ上げて来てしまった。

どうしても、寄付でもなんでも「してあげてる」という気持ちになる。

あたしなんか人間ができてないからまさにそう。

オットとかそのへん違うんだよね、すごくかっこいい。さらっとしてる。

でもあたしとかは、やっぱ自己満足、それこそインドの喜捨じゃないけど、自分が来世でいいステージに行くために良い事やっとく?的なやらしい考えがどうしてもある。

なんでオットは全くないのかね。

だから、お客さんが増えたら値下げするとか、ただで講演に行くとか。

まあ、そういう事ばかりで。奥さんは家計はかなり大変なんです(笑)。

でもそういう彼の事を誇りに思っていますけど。話それてまたのろけたw



でも、お土産屋さんでもバスが見えなくなるまで手を振ってくれるのね。

で、それは観光地だから以前からみんな仕事でやってた事だと思うんだけど、そこはやっぱりちょっと違うんだよ。多分お土産屋さんも震災前はただ仕事で振ってた手が、震災後は変わったと思うんだ。夏休みのあいた時間の目的地に東北に来たよ、来てくれてありがとう、っていうなんかとってもいい感じのお互いの気持ちの繋がりみたいなのをすごく感じた。





あ。中尊寺。それ自体はあんまり記憶に無いんだけど、山の上から見た平泉の町、昔ここが最盛期には10万人以上の人口を誇る東北の一大都市だったという説明を聞きながら、今は何も無い緑の丘陵を見ながらふえーとただ思うばかりなのだった。



観光を終え、土産屋さんで買い物をし(かもめのたまご売り切れだったよ)岩手花巻は「渡温泉」へ。

ここで団の解散式と言うか車中2泊、ホテル1泊の旅の最後を締めくくるひとときに。

あとはもう明日の朝起きたら東京駅で解散なんだよね。

ここでも、やまやさんのスピーチがよかった。



名鉄観光岩手支社の人で、震災前は普通に普通にわんこそばツアー&日本三景松島!とかお仕事してたと思うんだ。

でも、ボランティアバスの仕事が始まって毎日全国あちこちから来る老若男女のにわかボランティアさんたちと接することで、やまやさんめっちゃいい男になったんだと思う。

いっぱい悩んだと思う。

もちろん仕事だから利益優先。

でもいっぱい嬉しい事あったと思う。

仕事を離れてね。



見る事は知る事。知る事は背負う事だ。

私は国にだまされてる検証をまずするより、自己満足でもいいから、目の前の人に自然に手を差し伸べられる人になりたい。オットのように。



って、どんだけオットらぶ。



まあほんと尊敬してるから。大好きだから。



でも、虚弱体質なんとかしてほしい。

どんどこ湯ツアー明日いけないよ!



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2012-05-20(Sun)

陸前高田うごく七夕まつり

車中泊の翌日8月7日朝の7時半に岩手県遠野市のみやもり道の駅に到着。トイレ休憩と朝食調達。





震災後5ヶ月。見渡す限りがれきの山。





予定より早く到着したので、目的地陸前高田へ行く前に、気仙沼市街を通って行く事に。





今回ボランティアバスの添乗員さんは名鉄観光岩手支店のやまやさん。

とにかくすごく良い人で、ツアー女性陣にはやまやファンが続々誕生。





ボランティア活動の流れは、ボランティアセンターに行って初めて当日の仕事の要請と協力できる人員のマッチングで決まるので、ボランティアセンターに行くまでわからないとの事。

ただ今回のツアーの名称にも「陸前高田うごく七夕祭り」と入っているので、お祭りに関する会場の整備や駐車場等の誘導ではないかとの事だった。



陸前高田市の「うごく七夕祭り」は各町内の山車が市内を練り歩き地域の伝統ある行事であり、子供たちが毎年心から楽しみにしているお祭りです。

でも、陸前高田市は壊滅状態になってしまった街。

たくさんの死者、行方不明者はもちろん、各町内の山車、太鼓などもすべて流されてしまい初盆の家庭がたくさんの中で「祭りやるとかありえないだろう」という意見と「復興の足がかりとしてどうしても今年、今、祭りをやりたい」という意見の二つに分かれたそうです。



最終的に祭りは開催される事になり、急ごしらえの山車が3基ほど高田小学校の校庭に集合しました。

鐘や太鼓も全国の篤志で十分とは言えないけれどなんとか集まりました。

普段は町中を練り歩く山車だけれど、町がなくなってるので行進は高田小の校庭で。



最後までボランティアの内容が決まらなかった私らですが、だいぶたって、やまやさんからお言葉が。

「本日、皆さんにお願いしてやっていただくボランティアの内容は…祭りを盛り上げることっ!です!」



…ええっ?いちお、瓦礫片付けとか、泥のかき出しとか思って重装備で来てる訳ですよ、みんな。でも

肉体労働したいって思いもあるけれど、そこは気持ちを切り替えて、「おれら祭りを見に来た観光客になろう!お金をたくさん使おう!」と非常にスムーズに切り替える事ができました。



コンサートが行われれば前の方に行って、手拍子して盛り上げ、たくさんの出店の飲み物、食べ物は定価ではなく「お気持ちで」という箱にお金入れるのが多いので、ビール1本買って500円入れるとかしたりね。



太鼓をたたかせてもらったり、地元の小学生と話したり、子供たちが結構笑顔でお祭りを楽しんでたのが良かったかな。







全国の皆さん応援ありがとうございますというのぼりとともに、特に目についたこの言葉。

「人は、祭り無くして、明日の希望は見いだせず」



太古の昔から、雷に神殿が焼き尽くされても、疫病がはやり死人が続出しても、人は安息のために「祭り」という形で祈りを神に捧げて来た。

やっぱり、震災後約5ヶ月で祭りをするという事は、意味ある事だったと思う。



24時間テレビのジャニーズ君とかも来て、太鼓を叩いて、女子中高生たちがきゃーきゃー盛り上がり、私たちも、食べて飲んで、山車の綱を引き、校庭を練り歩き、夕闇が押し寄せる頃。

ほろ酔いの私の目に、黒いワンピースを着た30代の女性数人が会場に入ってくるのが目に入った。



あと一週間で家族を亡くした人たちは初盆。

今、太鼓を叩いたり、焼きそばを売ってる男性たちと同じく、この町で、ずっと祭りの指揮をとり、漁の指揮をとっていたけれど津波で流されてしまった男性たちが必ずいるのだ。そして、その彼らの死を弔う奥さんたちも。



あくまでも私の想像だけど、喪服に身を包んだ彼女たちは、かいがいしく祭りの場で立ち居振る舞い、あたしみたいなにわかボランティアは、「さぞかし、旦那さんはかっこいい海の男だったんだろうな。んで、みなさんも港で働くかっこいい女だったんだろうな」と思う。とにかく思う。



人が月曜から金曜の仕事のうさを、金曜の夜から土日で晴らすように、どんなに悲しい事、苦しい事があったって、誰しも祭りがあるからその悲しみを抱えて祭りまで我慢できる。

祭りが永遠に無ければ、悲しみを持ち続けて日常を喪に服して送るのは耐えられないと思う。



震災から5ヶ月。

その陸前高田の七夕祭りに参加できたのは、本当によい経験になった。

アルピニストの野口氏の言葉の「知る事は背負う事」じゃないけど、私にとって、祭りの日に喪服で会場に来る女性の姿を見たという事はすごく大きな事。

うまく言えないけどなんつーか、生き方的に「オットの遺志を継ぐ」というとこまで関係すると思うので。





祭りの後は今夜の宿のある釜石市へバスで移動。

すっかりおなじみになったご当地スーパー「マイヤ」で各人買い物をする。



このツアーの中で、元気のいい大学生たちがご飯の後に懇親会を企画してくれた。

素晴らしい。

なんていいやつらだ。

釜石の、とりあえず復興ボランティア相手で営業してる、電気半分以上消えてるホテルのロビーの一画でくたびれたソファに座って、マイヤで買ったビールや焼酎を飲みながら懇親会が始まる。

参加した動機は本当に人それぞれ。

でも。みんなほんといい顔してるんだよな。



もともとみんな、他人のために自分ができる事があればなんかしたい!って人ばかりなんだよね。

こう、ベクトルが外に向いてるっていうか。

似た感じの人たちばかりで、話は各部屋に戻ってもつきないのであった。









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2012-05-18(Fri)

シンデレラエクスプレス

昨夜ユーミンの曲をyoutubeで聞いていたら、関連動画で「シンデレラエクスプレス」が出て来た。

いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやー。



80年代!!ww





服、メイク、ヘアスタイル。全てが痛々しい…。ええ、もちろんまんまあたしもやってましたが。

あと、男性も同じ感じなのな。

眼鏡と髪型かなあ。



遠距離恋愛。



東京発大阪行きの日曜日。ホームで、まるでフランス人ですか?てハグしたりキスしたりするカップルがあふれる光景をうまく使って、21時発の最終の新幹線を「シンデレラエクスプレス」と名付け作られたJR東海のCM。電通でしょうな。



私が大学を卒業した年は、初めて女性の採用に「総合職」「一般職」という区分がされるようになった年だと思う(多分。確か)

ちょっと「総合職」でぐぐったら、結構定義としてはあいまいなんですな。

ただ女性と言えど

「なんでもやります」

「どこでも行きます」(転勤あり)

と宣言しなくてはいけない仕事っぷりを求められる時代になり、女にとって仕事が「腰掛け」とか「お茶汲み」とかではないものになった幕開けの時代になったからこそ「遠距離恋愛」ってのが出現したのであろうなあ。



それ以前は学生時代の恋愛は

「22歳の別れ」

「なごり雪」

はい、卒業!=ホームで終了!だったんでやんすなー。



「俺と結婚してくれ!」と言えない優柔不断オトコにさよなら。私は地元の信用金庫で働いて、2年もしたら実直な人と堅実な家庭を持つのよさよなら。

距離の切れ目が縁の切れ目か。



これからの数年、W浅野に代表される恋愛ドラマラッシュが続き、まさに「恋愛至上主義」時代が幕を開けた。

仕事もバリバリするけれど、強がって、意地はって一人で頑張ってるけれど、ほんとは運命の人に出会ってここから連れ去ってほしいのよ、的な。

まあ、恋愛ドラマって今でも基本そのパターンだが。



今、「結婚したいけどいい人がいない」と嘆く女子たちがたくさんいるのは、案外この「恋愛至上主義」が原因じゃないのか。

昔は結婚なんて職場の上司や親戚のおばさん、近所の人や親のすすめで真面目でそこそこ収入が安定してて年齢的にも合ってればまあもう私も26歳だしもらってもらえる人がいるならそうそう贅沢も言ってられないわよね、的にさらーっと決めちゃってたのが、そういった好条件にプラスして「この人しかいない!っていう運命の相手と出会い大恋愛の末に」って難条件が加わるんだからハードルあがるのも無理ないのかな、なんて思う。



http://www.youtube.com/watch?v=qVFFoSTWrk8



映像に出てくるカップルで、今一緒に2人でいる人はどれくらいいるのかな。

それにしても、もぞもぞお尻がむずがゆくなるような感じw

若かったなあ。





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2012-05-12(Sat)

おばあちゃんありがとう

オットのおばあちゃんが5月10日、満100歳で大往生を遂げた。

週末はお通夜お葬式と家族で参列。久しぶりに家族親戚で集まって、いい時間を過ごす事ができた。

天寿全うということで、基本笑いに包まれ、でもお顔を見るとちょっぴり涙がでちゃうという、人の一生、人生というものを噛み締める事のできた濃密な二日間だった。



おばあちゃんとは住まいが離れていたせいもあって、あまり会う事はなかったが、思えばもっと元気なうちにいろいろな話を聞いておけばよかったなと思う。

オットの小さい時の話とか。

でも、1月のお誕生日には、誕生会に出てお祝いする事ができて、ほんとによかった。



私は自分の母の祖父母は生まれる前に亡くなっているし、父方の祖父母は年に一度会うくらいだったから、いわゆる「おばあちゃん子」ではないし、それがどんなもんかもよくわからない。

ただ、息子は私たち夫婦の仕事の関係で小さい時から義父母に面倒を見てもらう事が多く、べったりとまでは言わないんだろうけれど、親の知らないところでいろいろな経験をさせてもらったと思う。



義父から息子への年賀状で、本当に大好きな一枚を今も大切にとっています。



「4月からはしょうがっこうの一ねんせいになるんだ。ランドセルすがたをたのしみにしています。ことしもたくさんおとまりしにきてね。また、おじいちゃんといっぱいたのしいことをしてあそぼう。こんどおたちみさきのゴーカートにのりにいこうね。またお山にどんぐりのみをひろいにいこう。大きなおんせんにも行こうね。おとしだまをあげるからはやくいらっしゃい。2001年がんたん。おじいちゃんより。」



どんな事があっても、無条件に赤ちゃんの時のままに愛してくれるシェルターのようなおじいちゃんおばあちゃんがいるという事は、どれだけ幸せな事よ。親は時にはあえて突き放さなくてはならない時があるのだから。



3時からの告別式、親族席に座らなくちゃならないのにいつまで待っても息子がいない。

あんなにかわいかった息子もニキビ面の高校生だ。

ぎりぎりにトイレから出て来た。そのまま追い立てて並んで親族席へ。

読経が始まると同時に足でリズムをとる息子をたしなめようと足下を見ると。



スリッパやん………



控え室に何足かある下足用スリッパでトイレに行き、なんとそのまま式場に入ってしまったのだった。

orzorzorz



私が中座して靴を持ってくるのも変か。

でも焼香になったら息子も絶対前に出なきゃならないし。

でも、誰もそんな靴まで見ないだろうしスリッパでも大丈夫か?

いや、やっぱおかしいだろ!!

あーもーどしたらいいんだっ!



などなどぐるぐる考えていたんだわ。



そんな事をしてたら、ちょっと風邪気だった私が、気管をお線香に刺激されたのか咳が出始めた。

読経の最中なので必死で我慢したけど、だんだん我慢できなくなり咳が止まらなくなり、こりゃいかんと思いとにかく身を屈めて場を離れた。

離れたトイレまで走って行って涙流しながら吐きそうになりながら咳き込み、ロビーで水を飲んで落ち着くまで待った。



そのときふとひらめいた。

どうせ親族席に戻るんだから、この際息子の革靴、目立たない袋に入れて持って行っちゃえと。

ナイスあたし。



また咳き込んだらどうしようと若干不安を抱えつつも、目論見通り目立たぬように靴も持って席に戻り、息子もそそくさと履き替え一件落着。



そのとき、突然15年前の一瞬に引き戻された。



福岡で一人暮らしをしていたおばあちゃんを、いろいろ心配だしそろそろ義父母が引き取ろうという事になり、家財道具を先に送り、いよいよおばあちゃん自身も移動という時に、義父が途中、熊本市内の我が家に寄ってくれた。

まだ2歳くらいだった息子と私、義父とおばあちゃんの4人で近所のうどん屋さんにお昼を食べに行ったんだが、私はその時、うどんとともに七味唐辛子を気管に吸い込み、恐ろしい咳に見舞われたのだった。

そのときにおばあちゃんが、お水飲みなさい、とすすめてくれ、いつまでもいつまでも私の背中をさすってくれたのだった。



唐突に思い出した。



おばあちゃん、またあたしげほごほやっちゃったけど、今度は結果的に靴問題解決しちゃったよ(笑)

ていうかさ、おばあちゃん、もしかしてわざとあたしを咳き込ませてくれたんじゃない~?



なんでもお見通しのようないたずらっぽいおばあちゃんの瞳をふいに思い出しながら、そんな事を考えてしまったのだった。



私はおばあちゃんの背中をさすってあげる事はなかったけれど、目上にしてもらった事は、目下に返すという言葉を思い出して、お返しする事はできないけれど、してもらった事を、次の世代に同じようにしてあげたいっていつも思ってる。







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2012-05-08(Tue)

東北へ

群馬で生まれたけど、高校卒業してすぐ実家を離れてしまったので東北に全く縁がない。

青森秋田山形福島宮城岩手。

親戚もいなければ旅行した事も無い。



だいたい寒いの大嫌いな私だもの、旅行先に東北なんか選ぶわけない。

イメージと言えば津軽海峡冬景色。寒い、無口、腰まげて農作業、老人ばかり、吹雪、演歌、酒、みたいな。

中学、高校と私がバイトしてた旅館に、青森から来ている人たちがいて(青森さんと呼ばれてた)、昔の集団就職じゃないけど、住み込みで料理運び、宴会場の後片付け、布団敷き、皿洗いと一日中働き通しだった。

仲居さんにはなれないのは、多分言葉のせいだと思う。

時々届いたりんごとかをくれるんだけど、ほんとうに何を言ってるのか私にはわからず、ただなんとなくりんごを差し出して笑顔でいてくれるから、あ、これプレゼントしてもらってるんだって感じで。



でも、彼女たちは黙々とただただ働き続ける、そしてすれ違うときに恥ずかしそうに小さな笑みを浮かべる人たちで、私としては、人の悪口ばかり言ってる仲居さんたちよりなんとなく親しみを持った人たちだった。そしてみんな旅館の下働きとはいえ、とても清潔感があった。あとみんな色が白かったな。



もちろん、30年以上前の中学生だった私はその時はそんな事いろいろ思う訳も無く、今、そういえばそんなだったな。なるほど!と思う感じ。その時にもやもやっと感じてた「この人たちって家族置いてここに働きに来てるんだよね」という「なんか大変なんだろうなー」てのが、今思うと、昭和50年代、まだまだ東北は現金収入得るのが難しい土地だったのだろうと改めて思い、電源交付金がいかに地方に恩恵をもたらしたのかという考えにぶちあたる。



オットが2010年の2月から東京にオフィスというにはほど遠いがアジトを持って、年がら年中一緒にいる私たち夫婦にはかえって新鮮とも言える別居生活が始まった。



そして、大震災の当日をオットは東京で過ごしたのだった。

今思うと、熊本にいた私はやっぱりどうしても他人事。

でも、東京にいたオットにとっては、ずっとずっと自分で抱えて生きて行かねばならない3月11日なんだろうと思う。

5月の連休に初めてオットが東北に行った。

それからオットは憑かれたように足しげく通い、ガイガーカウンターまで買った。



政府はまったくあてにならない。信じられる物がどこにもない。

でも、私にとってオットの話、撮って来た映像、計って来た数値だけは100%信じられるものだ。

そうやって、最初はかなりヒステリックに心配してた放射性物質の事も少し冷静に考えられるようになった。



「まだまだ現地は手つかず」「ボランティアが足りない」という話を耳にするにつけ、私なんかでも役に立つのならぜひ行って何かしたいという気持ちが膨らんで来た。

もちろん、一日二日くらい中年女が行ったからって、なんの足しにならないのはわかってる。

人のためより自分の満足のためという気持ちの方が強いだろう。

わざわざ熊本から交通費使って行くより、その分募金した方が効率がいい。

それはわかっているけれど、東京から行くならまた話は違う。

8月に入ると、ボランティアの意味合いも、急場を民間の力でなんとかしのぐというより、ある程度は落ち着いてきて「忘れないでほしい」「東北に足を運んでほしい」というどちらかというと情緒的な意味合いの方が比率が高くなっているようだった。



以前オットが参加した名鉄観光のボランティアバスツアーに申し込みをした。

行き先は陸前高田。

震災から数日のニュースで「壊滅状態」と報道されていた場所だ。



息子を私の実家に届けて東京に戻って来ていたオットと一緒に、アジトから集合場所の東京駅へ。

その前にいいだけオフ会三昧してた私のために、「バスの中で熟睡できるように」と缶チューハイを買って準備していてくれたオットの素晴らしさよ。



深夜、それぞれが大きな荷物を持ってバスに乗り込む光景を見て、「なんかいいなー、俺も行きてー」とかボランティアジャンキーみたいになってるオットをおいて、一人でバスへ。



隣はかわいらしい単独参加の女性。

ちょこちょこ言葉を交わすうちに、「なんか、気が合いそうだなってこれ見て思ってたんです!」と、私の座席前のネットに入れてるオットが持たせてくれた酒類を指差して



彼女(かっちゃん)とは今も連絡を取り合ってる。このボランティアツアーのあと、夏休みはスリランカに一人旅するというアクティブな女性。その他にも、韓国に留学中ながら、やはり現地を実際見てみたいという女の子から、山梨から2度目の参加の女性、神戸の大学生(阪神大震災のときにボランティアの人たちに助けられたから、自分も)など、全体的に、しっかりした女性が多いなというツアーだった。



とにかく、夜は寝て体力を温存しておかなくてはと思い、結局雰囲気的に缶チューハイをぷしゅっとすることもなく、眠りに落ちたのであった。



そして、明くる日の明け方目が覚めるとバスから見える景色は晴れつつある朝もやの中に延々と続く青田だった。







「日本の穀倉地帯」という言葉とともに「原発さえ無ければ」という言葉が頭に浮かぶ。

なぜか脳内でユーミンの「緑の街に舞い降りて」がリフレインする。

そして、宮城と岩手の違いもわからず、陸前高田が岩手だとも知らず(宮城かなと思ってた)初めて東北に足を踏み入れたのだ。













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2012-05-01(Tue)

夏休み大移動

オットが東京に住み始め、震災が起き、東北に行き、たくさんの繋がりができて。

バンマスが言うように「西遊記」ならぬ「東遊記」な感じ。

東へ東へと教典を探しに進んで行くんだよ。



あ。ちなみにバンマスとか言ってるけど私は臨時メンバーw



毎年子供の学校の休みにあわせて実家に帰る事が多いんだけど、3月は取っていた飛行機をキャンセルした。

余震も続いてるし、実家は特に福島県に隣接している。



でも、8月夏休みは悩んだ結果帰省する事にした。

行きは久しぶり(7年ぶりかな)の北九州ー徳島ー東京航路。

犬がいるのでやっぱりフェリーが一番ラク。





「おでかけ嬉しいけどせまいよ!」



ギター、三線、ロードバイクなどなどぎゅうぎゅうに詰め込んで、なんの旅一座?



4人寝台だけど、3人で貸し切りできるのは、夏休みとはいえ穴場のフェリー移動ならでは。

船のクルーと海猫ちゃんたちがなんか仲よさそうで出航の様子をオットと「いいねー」とデッキから見る。

柴男はもう慣れたもののペットルーム。

お風呂に入って、酒盛りをして。

7年前にもらったフードカード(自販機のカードみたいなの)余ってたんで持ってきたけどすでに使えず。てかどんだけ物持ちいんだよてこと。おお!と盛り上がった冷凍寿司自販機も撤去されており、時の流れを感じつつも、まあ酒があればいいよね的に瀬戸内航路を船は進むのでした。



翌日の午前10時頃に徳島港入港。

柴男をおろして散歩させる。

さびれた感たっぷりの乗り場。

閉鎖されたお土産売り場とか、壊れたまんまのクレーンゲーム(昭和バージョン)とか。

がらんとした所に家族が時間つぶしでただただベンチに座ってるて感じがめっちゃインド。



ガランとした待合室でほっと一息の柴男たん。



昔は、さあこれで次の日の朝には東京だよ的に盛り上がったんだろうなあ。

やっぱり飛行機の効率の良い輸送や、コストの安い陸路には対抗できなかったんだろうか。

これ以上日本のフェリー航路が廃止になってほしくない。だって、島国なんだよ。



しかし時間はかかる。

さらに翌日の早朝東京は有明埠頭着。

普段は朝寝坊だけど、早朝に現地に着くの大好きという、おい、それって貧乏旅行ばっかしてるからじゃねえの的なねw





すでに見慣れた湯島の光景。

家族で朝ご飯を食べてから、一同解散。

オットと息子と柴男はそのまま車で関越道で私の実家へ。

私はオフ会をぎっちり入れてるしw 翌日からボランティアバスツアーで生まれて初めての東北に行くのでそのままアジトに残る。

相変わらず個人行動ばらばらだけど、心はつながってる我が家の夏休みはこんな感じで幕を開けたのでした。





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プロフィール

micomico03

Author:micomico03
旅とおいしい物とおいしいお酒を愛する、昭和30年代最後のぎりぎり生まれちゃん。
好きなものはドラマ、あまちゃん・デスパレートな妻たち・アグリーベティ。一人旅、夫婦旅。

自信のあるところは体力と気力。自信のないところは継続的努力。

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