2014-10-28(Tue)
花子とアンの世界を巡るバスツアー
酒蔵まつりで「今月の締めくくりも幸せで・・・」なんて言ってたらもうひとつ忘れてたよ。
OJK4人で大人の遠足(^o^)
「伊藤伝右衛門邸」見学ツアー。
花子とアン効果で現在通常の5倍のお客さんだそうだけど、常からここ飯塚市の見所として、嘉穂劇場(山鹿の八千代座みたいに当時の趣を残す芝居小屋)と並んで人気のスポットらしい。
久々の早起きして集合場所へ。
バス会社の主催日帰りツアーは気楽でお得でいいよね。
ただし、なんともまぁシニアの皆様の多いこと。
OJKの中でも熟度が進んだ私たちでさえ最年少グループというww

平日なので、それほど混雑はしてないと思いますと最初言ってたガイドさん、現地からの連絡によると、その後130名の別の団体と同時刻の入場になります、とのこと(^^;)
おじさまおばさま方、後ろからぐいぐい押すのやめて欲しいんですが・・・(^^;)

建物は純和風ながら、そこここに西洋のエッセンスがちりばめられていて、あの時代の和洋折衷の可愛らしさを感じる、まさに、年が半分も離れた美しいお嫁さんのためにあつらえた邸宅という感じ。

炉の切られたお茶室も。

無学と言われる伝右衛門だけど、普請道楽の一面もあり、ここ以外に博多と別府にも豪邸を持っていたらしい。
洋間の床が寄せ木張りになっていたり、欄間も床の間の天井にも様々な意匠が凝らされている。
当時はまだ珍しかった(九州で初めて?)の水洗トイレも白蓮のために作って。


2階の白蓮の居室からの眺め。
この眺めの良い部屋を与えられたお姫様は「私はかごの鳥〜」なんて意味の歌を詠んではいたのですな。
お風呂とその手前の洗面所。
お風呂は当時はこんなだったのではないかという再現みたい。


この食堂で、お米をパン食に変えさせて朝食をとっていたであろう蓮さま。
ドラマ花子とアンでパンをむしゃむしゃ食べてスープをずずずーとすする伝右衛門さんをいやーな顔で見つめる仲間由紀恵演じる蓮さまを思い出します。

左側が大広間。結婚式はこの広間で行われたかと思ったけれど、林真理子の史実に基づいた小説「白蓮れんれん」を読むとここではなかったようす。(とても人が入りきれなかった)

伊藤伝右衛門さんは地元の小学校にもたくさんの寄付をしたりしていた篤志家だった。女遊びが派手でたくさんのお妾さんがいたらしいし、白蓮も女中頭が旦那のお手つきという状況の中でなんとか家庭を改革し飯塚の地に馴染む努力をしたらしいけれど。なかなか生まれ身分が違う二人の気持ちがうまく一緒になるというのは難しい結婚生活だったんでしょうね。
その後近くのホテルで中華バイキング。
燃料も投入してお腹いっぱいに。
美味しかったよ。
銘菓千鳥饅頭(伊藤家御用達だったらしい)の本店で見学&買い物タイムのあとは、熊本荒尾市へ。
白蓮と駆け落ちをした宮崎龍介はなんとここ荒尾の生まれ。
そして全く知識がなかったのだが、孫文をかくまったりして辛亥革命成功の一助を担った「宮崎滔天」という人が龍介さんのお父さんなのですな。
辛亥革命・・・・。
学生時代の記憶の彼方・・・(^^;)
日本に一時亡命していた孫文をかくまった時のままのお家だそうです。


この前水俣で勉強した徳富蘇峰もそうだけど、明治から昭和の時代、日本を変えようとした人が各地にたくさんいて、どこかしらで彼らの縁が繋がっていて面白いなぁと。萩に旅行してからそういう事にとても興味が出てきた。←年取ってきたってことかな(^^;)
最近思うのは、見る物がひとつもない街なんてないって事。
どの場所にも先人が生きた証というのは残っていて、それは今自分が立っている場所、時間に繋がってるんだってこと。
心地よい疲れと満足を感じながらバスは終点へ。
19時から予約してあるお店に急ぎ「反省会」と称した打ち上げで最後まで貪欲に盛り上がるOJKなのでした(*´艸`)


企画してくれた会員番号3番。
ありがとう(^^)
OJK4人で大人の遠足(^o^)
「伊藤伝右衛門邸」見学ツアー。
花子とアン効果で現在通常の5倍のお客さんだそうだけど、常からここ飯塚市の見所として、嘉穂劇場(山鹿の八千代座みたいに当時の趣を残す芝居小屋)と並んで人気のスポットらしい。
久々の早起きして集合場所へ。
バス会社の主催日帰りツアーは気楽でお得でいいよね。
ただし、なんともまぁシニアの皆様の多いこと。
OJKの中でも熟度が進んだ私たちでさえ最年少グループというww

平日なので、それほど混雑はしてないと思いますと最初言ってたガイドさん、現地からの連絡によると、その後130名の別の団体と同時刻の入場になります、とのこと(^^;)
おじさまおばさま方、後ろからぐいぐい押すのやめて欲しいんですが・・・(^^;)

建物は純和風ながら、そこここに西洋のエッセンスがちりばめられていて、あの時代の和洋折衷の可愛らしさを感じる、まさに、年が半分も離れた美しいお嫁さんのためにあつらえた邸宅という感じ。

炉の切られたお茶室も。

無学と言われる伝右衛門だけど、普請道楽の一面もあり、ここ以外に博多と別府にも豪邸を持っていたらしい。
洋間の床が寄せ木張りになっていたり、欄間も床の間の天井にも様々な意匠が凝らされている。
当時はまだ珍しかった(九州で初めて?)の水洗トイレも白蓮のために作って。


2階の白蓮の居室からの眺め。
この眺めの良い部屋を与えられたお姫様は「私はかごの鳥〜」なんて意味の歌を詠んではいたのですな。
お風呂とその手前の洗面所。
お風呂は当時はこんなだったのではないかという再現みたい。


この食堂で、お米をパン食に変えさせて朝食をとっていたであろう蓮さま。
ドラマ花子とアンでパンをむしゃむしゃ食べてスープをずずずーとすする伝右衛門さんをいやーな顔で見つめる仲間由紀恵演じる蓮さまを思い出します。

左側が大広間。結婚式はこの広間で行われたかと思ったけれど、林真理子の史実に基づいた小説「白蓮れんれん」を読むとここではなかったようす。(とても人が入りきれなかった)

伊藤伝右衛門さんは地元の小学校にもたくさんの寄付をしたりしていた篤志家だった。女遊びが派手でたくさんのお妾さんがいたらしいし、白蓮も女中頭が旦那のお手つきという状況の中でなんとか家庭を改革し飯塚の地に馴染む努力をしたらしいけれど。なかなか生まれ身分が違う二人の気持ちがうまく一緒になるというのは難しい結婚生活だったんでしょうね。
その後近くのホテルで中華バイキング。
燃料も投入してお腹いっぱいに。
美味しかったよ。
銘菓千鳥饅頭(伊藤家御用達だったらしい)の本店で見学&買い物タイムのあとは、熊本荒尾市へ。
白蓮と駆け落ちをした宮崎龍介はなんとここ荒尾の生まれ。
そして全く知識がなかったのだが、孫文をかくまったりして辛亥革命成功の一助を担った「宮崎滔天」という人が龍介さんのお父さんなのですな。
辛亥革命・・・・。
学生時代の記憶の彼方・・・(^^;)
日本に一時亡命していた孫文をかくまった時のままのお家だそうです。


この前水俣で勉強した徳富蘇峰もそうだけど、明治から昭和の時代、日本を変えようとした人が各地にたくさんいて、どこかしらで彼らの縁が繋がっていて面白いなぁと。萩に旅行してからそういう事にとても興味が出てきた。←年取ってきたってことかな(^^;)
最近思うのは、見る物がひとつもない街なんてないって事。
どの場所にも先人が生きた証というのは残っていて、それは今自分が立っている場所、時間に繋がってるんだってこと。
心地よい疲れと満足を感じながらバスは終点へ。
19時から予約してあるお店に急ぎ「反省会」と称した打ち上げで最後まで貪欲に盛り上がるOJKなのでした(*´艸`)


企画してくれた会員番号3番。
ありがとう(^^)
スポンサーサイト