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奄美大島ひとり旅 1日目 5月9日

オットに高速バス停まで送ってもらい旅の始まり。

今回は福岡空港からの往復なのです。

南へ飛ぶ飛行機は、軒並み「天候不良のため福岡空港へ戻ることもあります」了承ありきのフライトばかり。

ついに私の乗る12時40分奄美大島行きもその条件付きのアナウンスが。





明日朝から一日現地オプショナルツアー申し込んでいるのでそこだけが心配なところ。

けどそこはなんとなく大丈夫な予感が。

雨の福岡空港を飛び立ち「午後2時から豪雨らしいよ」などと言う機内の乗客の話し声を聞きながら、ちっこいプロペラ機は揺れながら奄美大島へ近づいていく。

車輪が出る音がするので窓の外を見ると、空は曇ってはいるもののエメラルドグリーンのリーフがはっきり見える。やっぱ晴れ女だよ私。

無事に到着!





タラップを降りて駐機場を横切りターミナル内へ。

奄美大島は最近LCCが飛ぶようになり、これから観光客が増えると見込んでか空港も改装中。



旅の間は沖縄みたいに素敵アラサー独身女子がわらわらいるってわけじゃなかったけど、3日前くらいに4連泊のホテル取らなきゃと思って調べたときにはひとつしか残ってなかった。

どちらかというと年配の旅行者が多いって感じがしたけど。

ま、平日だからリタイア組が多かったのかもね。ていうかGW終わったばかりだったし。



空港のバス停から名瀬市内行きではなく反対側の笠利方面へのバスに乗って5分ほどで体感型博物館といった感じの奄美パークへ。

奄美パーク+同敷地内の田中一村美術館の入場券が割安。





田中一村。

今回奄美を旅するのでアマゾンなどで関連書籍を調べていると独特な雰囲気の絵の田中一村という人について書かれた書籍がおすすめでたくさん出てくる。

絵の知識も審美眼も全く持ち合わせてない私だけど「あれ?これずっと前にオットが出張先の展覧会で見て画集買ってきた人じゃない?」と即座に思うほど特徴的な絵を見て本棚からその画集を引っ張り出してみた。



画集は確かに一村のものだった。そして奄美のゴーギャンとかゴッホとか、死後に彼の特番が組まれた事で脚光を浴びるようになった伝説の画家、的に脚色された、本州から奄美大島に移り住んだ画家の存在を旅行前に初めて知ったのだった。

行く前に一冊読んだ本がかなりフィクション色が強く、作者の思い入れで過剰な描写はあるけど概ね間違ってはいないんだろうなぁと思った私は旅のプランに一村を訪ねる事を組み込んでみた。



彫刻家の父を持ち、7歳ですでに水墨画で大きな賞を受賞し神童と言われる。

今の東京芸大に入学するも2ヶ月で退学。中央画壇と袂を分かち単身奄美大島へ移住し、大島紬の染色工として働きながら絵を書き続けた。一村は3人の弟と姉と妹がいるがその弟たちが全員10代で夭逝している。

父母も早くに亡くしその死生観が「死は終わりではない」というニライカナイ的な考えが息づく奄美に引き寄せられたのかもしれない。



展示は80点ほど。

時代順に並んでいる。

絵のことが全くわからないので何も言えないけれど、緻密なデッサンノートを見ると、何度も何度も繰り返し見たものをそのまま描き、自分の中で熟成して、その時が来たらえいや!と描く人なんだなと思った。

テイストは全く違うけど私物として大切に持っていたピカソの画集も展示されていた。

それにしてもすごく贅沢な時間を過ごしているのに「すごかった」としか言えない私の教養の無さよ(悲)



1時間半ほどで作品を見て、最後にビデオシアターで一村の生涯をまとめたものを見た後は奄美パーク本館へ。

ここの展示は写真がメインで奄美群島各島の年中行事や暮らしぶりの写真がたくさんあった。

今は失われつつある地域の祭りや神事、それが当たり前にあった時代の写真の中の人々の笑顔が胸にしみる。





閉園時間の18時ぎりぎりまで見て回った後は敷地内のバス停から名瀬市内行きのしまバスに乗車。



バス停の名前かっこいい。

40分位で奄美大島の中心部名瀬に到着。

ホテルはレクストン奄美。便利な場所にあってきれいなビジネスホテル。

19時ちょっと前にチェックイン。



さてお楽しみの夕ご飯。

ここに来る前に「奄美、もっと知りたい」という奄美群島へ配属された朝日新聞の記者の著書を読んでいて、島の唄者がやっている「かずみ」というお店の存在を知り絶対に行きたいと思ってた。

その本自体が1997年発刊ということもあって、お店が今も営業してるかどうか不安だったけどガイドブックを見ると現在も毎晩島唄が聞ける人気店らしい。

本命はそのお店ということで、明日の9時15分にホテルに迎えに来てくれるオプショナルツアーの事を考えると(9時15分というのは私にとって早朝ですw)奄美初日の今夜は大人しくさっくり飲んで食べて寝ましょうねってことで、とりあえずネットでみつけたお店へ。



島唄コースで一通りお刺身とか貝とか油そばとか名物が食べられて、上手な唄が聞けて、一緒に歌ったり踊ったり、沖縄料理店の「カチャーシーみんなでやるさー」的なノリで。19時半から1時間位のショー。

料理と同じで歌や踊りも一通りコースみたいにさーっと終わってお店の人たちさっさと片付けモード。



うんうんよかったよね。帰ろうかね。。。って全然不完全燃焼だよーっ!!

沖縄でもこういうエンタメ系の料理屋さん多々あったけどそこはそこでスタッフさんたちのノリが良くて楽しめた。

なのになぜ今回はこんなに違う感じがするんだろうか。

そもそも離島に旅行に行くってのが久しぶりなので私の中で求めるものがすごく変わってるのかもしれない。

でも、旅に対して求めるものって人それぞれ違うし、そもそもそこで毎日住んでる人に「求めたい」てのも変な話で。

まぁそんな色々な感情が私をまだまだ夜の街に駆り立てるわけで(笑)

で地図片手にやっぱり「かずみ」に行っちゃった。





9時過ぎだったかな。

薄暗いアーケードを歩いていくとぽっと看板の明かりがついているお店があった。

引き寄せられるように入ると手前に小上がりのテーブルが3つ、奥にカウンター。

店内はほぼ満員。

「ひとり、いいですか?」と尋ねるとママさんが「はいーここどうぞ!」とカウンターの最後の一つの席を案内してくれた。かずみママだった。



決まったメニューはなくてその日の仕入れから料理を適当に出してくれるみたいで、私は「好き嫌いはないんですが量がたくさん食べられないので少しでいいです。その代わりお酒はたくさん飲みます!」と伝えた。



もずくと貝がおいしかった〜!

黒糖焼酎は地元の方たちおすすめの龍宮。



あとで知ったけど、7時半から始まる島唄と料理のセットコースていうのがあるらしい。



「奄美、もっと知りたい」を読んでここに来たいと思った事なんかを延々と話す鬱陶しい私をママはにこにこ相手をしてくれた。「神谷さん(著者)いっつも財布忘れてったよね(笑)」なんてエピソードも聞けて。



しばらくして小上がりの団体さんが帰る時に「私は有屋です」と言うのを聞いて「あ!田中一村さんの住んでたとこですね!」と声をかけると「え?よく知ってるね〜」なんて話になりそのやりとりを聞いてたカウンターの男性が「俺その人歩いてるとこよく見たよ」「ええ〜?ほんとですか〜?!」なんて話になったんだけど、よく考えたらその人が65歳位だったので今年が一村の死後40年だから普通にありだよなぁ。



もう一冊読んだ「神を描いた男」にも、一村は自宅のある有屋から徒歩で勤務先の紬工場へ通っていたというから見かけた人も多いのだろう。

いつもランニングにステテコ姿で変なおじさんと思われていたそうだ。



隣の大阪からのひとり旅男性イッシーと盛り上がりフェイスブック交換。

南インドへ留学して向こうでIT会社をやっていたという経歴の持ち主でインド話や旅の話を。

彼はレンタバイクを借りていて明日加計呂麻島に渡るという。

加計呂麻島行ってみたいけどスケジュール的にちょっとハードなので、デイゴが咲きそろうと真っ赤になるデイゴ並木の花が始まっていたら私も行こうかなと思う。



かずみママはほんとに暖かくて気取らず色々な奄美の話をしてくれた。

数年前に一度倒れて手が少し動きづらいのだが次々と大鍋で料理を作っている。

照れくさそうに笑う顔がすごくキュート。

店内には満島ひかり、中孝介、元ちとせ、徳光さんなんかの写真やサインがたくさん飾られていて一村の画集もあった。

初日から大満足の一日でホテルに戻ると一瞬で爆睡。

明日は晴れ予報!

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micomico03

Author:micomico03
旅とおいしい物とおいしいお酒を愛する、昭和30年代最後のぎりぎり生まれちゃん。
好きなものはドラマ、あまちゃん・デスパレートな妻たち・アグリーベティ。一人旅、夫婦旅。

自信のあるところは体力と気力。自信のないところは継続的努力。

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